我が家では子どもの教育方針に関する対立が存在します。
A案
無理のない範囲で偏差値の高い学校に進学させ、できるだけ不自由のない暮らしをさせる。
B案
本人の好きなことを好きなだけさせる。それが動画やゲームであっても。
C案
常に大自然にふれる生活をさせ、「生きる」ということの意味を身をもって体得させる。
さて、我が家ではどのような対立があるかといいますと、まあ、予想通りでしょうが、
妻=AないしB案
私=C案
という対立です。
私も妻もA案に近い育て方をされ、大学または大学院まで進学しています。
私たち夫婦に限らず、昔も今も、圧倒的大多数がA案で育てられていると思います。
しかしです。
これからの時代、いい学校いって、いい就職して・・・というのが本当にいいのでしょうか?
AIの著しい発達もあり、これからの時代、人間の頭脳を駆使した仕事は減少していくと予想されているはずです。それなのに、少しでもいい学校行って、いい就職をするということにそれほど意味があるのでしょうか?
それよりも、大自然と触れ合い本当の意味で「生きる力」を体得させてあげた方が子どもたちのためになるのではないかと・・・。考えれば考えるほど、そういう結論になってしまいます。
別に自給自足生活をしていたって、本人(子ども)が希望すれば、努力次第で大学・大学院に進学する方法はいくらでもあるはずです。私は勉強の必要がないとも言っていません。自給自足的な生活をしながら、生きるために本当に必要なことを身をもって体感してもらい、その上で必要最低限の勉強をすれば十分ではないかと。それによって偏差値の高い学校に通う以上に学ぶもの・得られるものがあるのではない かと考えるのです。
妻には全く理解してもらえませんが・・・。
自分自身は比較的過保護に育てられた人間なので、私に言う資格はないかもしれませんが、今の子どもたちは、過保護すぎるように感じられます。少なくとも、我が家の場合、子どもが外で遊ぶ時間も少なく、室内でゲームや動画視聴の時間が圧倒的に長い。
毎週末外食し、何も不自由のない生活をしているように思われます。不自由のないというか、贅沢な生活と言ってもいいかもしれません。
今日も、子どもが「しゃぶ葉」に行きたいというから行きましたが、これが普通だと思われては困ります。まあ、連れて行く自分が悪いというのは百も承知ですが(-_-;)
いずれにせよ、子どもには多少の不便や苦労をさせた方がいいだろうというのが私の考えです。
私の考えは、かなり少数派だと自分でも認識してはいますが、どうしても「普通=A案」がいいとは思えないのです。
やはり自給自足しかない!!って結局これを言いたかっただけ(笑)
そして仕事辞めたいだけ?(笑)
夫婦間の対立は今後も続くのです・・・しかもA案ベースで( ;∀;)